樹木葬の誤解に、プロが答える

こんにちは。

山崎石材店です。

 

いきなりですが、樹木葬にどんなイメージを持っていますか?

私たちは石材店ですから、「お墓について考えましょうよ」というお話をします。

すると、少なくない方が、「わたし樹木葬でいいよ」とおっしゃるんです。

 

樹木葬。

自然に還る。

 

魅力的な響きです。

イメージとしては、森の中にお灰をまかれたり、土に埋めた上に草木が咲いたり、といった感じでしょうか。

 

ジブリやアニミズムの考えと親しんできた私たち日本人にとって、とても心惹かれる葬儀スタイルです。

 

もちろん、私たちは樹木葬を否定しません。それどころか、その自然に還りたいという感情や、お空にのぼって大好きな人たちを見守りたいという考えは、尊いとすら思います。

よって、今回は、樹木葬の正しい知識を持っていただきたいなと思っています。

 

樹木葬の誤解①「そもそも、勝手に散骨はできない」

 

まず、墓地として認められてない場所に、お骨をまくのはダメなんですね。

正式には、都道府県知事が許可を出してないといけません。そこから許可が市区町村に降りてくるような仕組みになっていますので、市区町村長が許可を出す形です。

 

だから、その辺の山にお骨をまいたらいけません。

法律に触れちゃいます。

 

つまり、近所の山に骨をまいたり埋めたりして、その上に花が咲いて・・・みたいなのはまず現実にはできなくなってるんです。

 

お骨は、墓地にしか埋葬できないルールがあります。

そこで仮に、法律上の問題をクリアした墓地があるとしましょう。

お寺はコンビニと同じぐらい存在しますが、実は樹木葬として認められているお墓の地域は、都道府県に1か所ぐらいしかありません。

 

遺された人にとって、大切な人が亡くなった時、結構遠い思いをすることになります。

実は、これは石材店だからこそはっきりいえることなんですが、お墓に手をあわせるという行為が、弔いについての納得感を与えてくれるのは事実なんですね。

墓石に手を合わせるという納得感です。

 

お墓というのは実は、先祖のためのようにみえて、遺された人のためのものでもあるんです。つまり、弔いです。そこに、矛盾が生じるのが現状なんです。

死ぬためには、実は他者が必要なんです。

一人では死ねないのです。

自由奔放にいきている方などは、「野垂れ死にでいい」といわれますが、ひとりでは死ねません。決して死ねないのです。その亡骸を誰かが片付ける必要があります。

人類が最後のひとりになるまで、この弔いは続きます。

もしかしたら、野垂れ死にができるのは、地球最後のひとりだけかもしれません。

 

樹木葬の誤解②「自分で持ってる山にまくのも禁止されている」

 

じゃあ、話は戻って自己所有の山だったらどうでしょうか。

最近は山を買うのが流行っていますよね。

自分の山もダメなんです。犬や猫を埋めるのとは違って、人間の遺骨を埋めてはいけません。

ただ、法律はずいぶん前にできたものですが、日本人は法律施行の前からいますよね。よって、法律ができる前から墓地として使われているところは、「みなし墓地」として存在し、認められています。でも、自分ちをはじめとして、人の山、公共の場所にまくのは絶対にやってはいけないのです。

 

死ぬためには、他人の手を借りなければならないのですが、これを「1人称の終活」と呼んでいます。つまり、生きるときも死んだときも死んだ後も、つながりが必要なんです。

 

ワンポイント【死生観は変化する】

どうでしょう?「死ぬには他者が必要」と聞くと、ちょっと死生観に変化がうまれないでしょうか?つながりが必要なんですね。そのつながりは、さびしさを埋めてくれるものです。死生観を大きく揺さぶってきます。

その死生観は、年をとると変化することもわかっています。

かの有名な、発明家のトーマス・エジソンも、晩年は死後の世界の研究に没頭していたといわれています。エジソンのような偉大な科学者でも、年を取ると体が弱り、死生観に変化が生まれ、死後の世界などに関心がいくのです。

 

樹木葬の誤解③ 本当に樹木葬をしようと思ったらハードルが高い

 

では実際、樹木葬ってできるんでしょうか?

実は、本気でやろうと思ったらやれなくはありません。

 

多くの方が、樹木葬ときいてイメージする、「木の下に植わる」という弔い方。

シンボルツリーの下にお骨が埋まっているというお墓は、実のところ、あるにはあります。

ただ、近くで選べるほど存在するかというと、ありません。みなさんも、あまり聞いたことがないですよね?

 

まず、樹木葬には、お墓として認められている山が必要です。

よって、お寺さんで広大な敷地を持っているとか、山全体がお寺として墓地に認められているとか、そういう場所が必要です。

 

実際、現実的には樹木葬ってとても難しいんです。

なぜなら、ちゃんと、実行する人・やる人が必要だからです。

 

予算・工程管理・手間・・・あらゆる作業がのしかかります。

シンボルツリーだって準備する必要がありますよね。大きな木を。

 

樹木葬、本気でやろうとするととても大変なのです。

山がメンテされてないこともありますし、里山の整備も必要ですから。

はっきりいって、普通のお墓より大変です。

 

しかも、遺された人は「どの木だったかな…」とわからなくなっちゃうんです。

 

天涯孤独ならまだ、やってみてもいいかなと思いますが、とっても大変です。

 

「海にまいて」といわれても。

 

また、海に散骨したいというご希望も非常によく聞きます。

ビートルズ世代(団塊の世代)の男性などは、よく「死んだら海にまいてくれ、それでいいよ」とおっしゃいます。故人の意思は尊重したいところですが、ほんとうにそれでいいかはわからないのですよ。

 

お葬式や四十九日といった取り組みは、人が亡くなった時に行う典型的なプロセスです。しかしそれは年月を経てるだけあって、とてもよくできています。人が人を弔って、徐々にショックから日常に戻るためのプロセスとして、うまく考えられています。

 

でも、「海にまいて」「山にまいて」「自然に還りたい」というご主張は、そこから外れることになってしまいます。ゼロベースで自分の葬儀を考えることになりますので、勇気が必要なことでもあるのです。

 

死んだ後のことを本当に考えるって、どういうこと?

 

たとえば、闘病した人もあまり死後のことは考えない傾向があるんです。「生きるんだ」という強い想いを持ったまま亡くなられていますから、少なくとも終活はされていません。でも、遺された人のことを考えるのは本当に大切です。

 

たとえば、私たちは墓石屋さんですから、墓石を立てて、中にお骨を収めるだけといったらだけです。しかしそこで「お経を唱えてもらうことも、できるんですよ」とお伝えしたら、意外なことに結構お経を唱えてほしいなという遺族の方は多いのです。

 

そして、そこから住職に個人的なことを相談するとか、そうしたご縁が増えることもあるんです。これもまた、「一人では死ねない」ことの表れです。

 

さいごに

 

弔っていくこと。

人と人がつながりつづけること。

 

そうやって、命が続いていき、人と人のご縁がつながりつづけることも、生きることと、そして死ぬことの別の側面ではないでしょうか。こう考えると、樹木葬を希望した方の「負担なく」「見守り続けたい」「自然に還っていきたい」という思いは、お墓でもある程度はかなえられるんじゃないかなと思います。

 

そもそも、お骨をバラまくことは法律的にできないということ。

そして、ハードルの高い樹木葬をしても、意外と遺された人に負担がかかること。

でも、一人じゃ死ねないこと。

さらに、つながりつづけたいという感情は、人にとって欠かせないこと。

 

こうした気持ちをすべてかなえるのに、お墓がその橋渡しになればいいなと思います。

 

これからも、お墓だけでなく、生きることと死ぬことについても、配信していきたく思いますので、どうかお楽しみに!

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